Ridilover(リディラバ)社会課題をみんなのものに

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あらゆる困難を笑える社会に。漫才に魅せられた男が語る、お笑い以上にエンターティメントな仕事。

あらゆる困難を笑える社会に。漫才に魅せられた男が語る、お笑い以上にエンターティメントな仕事。

社会の無関心の打破という理念のもと、「社会課題を、みんなのものに。」をスローガンに掲げ、多角的な事業を展開する株式会社Ridilover(リディラバ)。今回は企業向けの人材育成事業を統括する夏目翔太さんにお話をうかがいました。学生時代は漫才師としてテレビ出演まで果たし、卒業後は一部上場大手通信機器メーカーに就職。そんな異色の経歴を持つ夏目さんに、キャリアの根底に流れる「表現」への渇望と、仲間とともにつくりあげる仕事のやりがい、リディラバが見据える未来について語っていただきました。


芸人になること以外、選択肢がなかったキャリアの出発点

── まずは夏目さんのこれまでのキャリアについて教えてください。

実は中学生の頃からお笑いで飯を食っていこう、と固く誓っていまして。同級生とコンビを組んで立教大学への進学が決まると同時にNSC吉本総合芸能学院に通いはじめました。大学の学部も「どうせお笑いをやるなら」、と新設されて3年目だった文学部文学科の文芸・思想専修で哲学と表現の両方を学んでいたぐらい本気だったんです。


その後、大学の学園祭を機にNSCでの相方とは別の同級生と新しいコンビを組み、活動をはじめることに。当時の立教大学には落語研究会こそあれどお笑いサークルがなかったので自主ライブを企画して、仲間内でお客さんを呼んで活動していましたね。

大学3年生のとき、あるテレビ番組のオーディションに受かり、そこから1年半ほど関東ローカルですが地上波の深夜番組で漫才をやらせてもらえる機会に恵まれました。いよいよ漫才師としてメジャー入りの切符を手にいれた、と感じていました。

── 学生時代からいわゆるクラスの人気者だったとか?

いえ、そういうわけではありません。人を笑わせることは好きでしたが、学年の人気者というのとは違うなと。むしろ学年の人気者って面白くないんじゃないか、自分は「本物の面白いヤツ」でありたい、と(笑)。

── まさしく本物ですね。

高校から大学へ進学する際も、一度は「大学には行かずに芸人になる」と親に宣言して、ものすごい勢いで反対されました。芸人になってもいいからとにかく大学だけは卒業してくれ、と。だから僕にとって大学は、あくまで芸人になるまでの猶予期間のつもりでした。

── そこまで情熱を注いだ漫才師の道を、なぜ諦めることになったのですか?

NSCでの経験から芸人になること自体は難しくない、つまり業界に入るだけなら誰でもできると知りました。問題はそこからどう生き残るかです。そこで学生のうちに「この事務所から声がかかったらプロになろう」という目標を立てました。当時、狙っていた事務所がいくつかあったんです。そのためにアマチュアが出場できるお笑いの大会にかたっぱしから出て、本気でスカウトを狙っていたんですね。

ありがたいことにいくつかの事務所からはお声がけいただけたのですが……自分たちが目指す方向性とは若干のズレを感じることが多々ありました。そんな中で相方が「第一志望の会社に受かったら就職したい。一社だけ面接させてくれ」と言い出します。まさかやめろとはいえません。そして、彼は見事に内定を得ました。相方の人生の選択を尊重し、僕もきっぱりと芸人の道を諦めることにしました。

── そんな事情があったのですね……では、そこから就活に?

相方の就職が決まったのがすでに就活シーズンも終盤でしたから、僕は完全に乗り遅れてしまって。結局、就職のために一年留年することになりました。

正直なところ、漫才以上に面白い仕事なんてない、と思っていました。ずっとお笑いで食っていく、芸人になる、と思って生きてきたので、それ以外の仕事はどれも同じようなものだと半ばあきらめていたんですね。そんな中で出会ったのが大手通信機メーカーでした。東証一部に上場している安定企業でありながら、新設されたばかりの新規事業部門での募集があった。安定とベンチャーマインドを両立できる環境であること、そして転勤がなく東京で働けることから、自分にとってベストな選択だと感じて入社を決めました。

そこで僕はエネルギーマネジメントシステムの営業として大手の工場やビルに向けて販路開拓を担当します。いま振り返るとこの選択は大正解で、営業という仕事が非常に性に合っていることがわかりました。4年と5ヶ月ほど在籍しましたが、既存事業とは異なる自由度の高い環境で自分で仕事をつくっていく感覚は、ベンチャーそのもので楽しかったですね。

“わかる”のではなく“つくる”ことが求められていた

──なかなか順調な仕事ぶりのようですが、転職を考えるきっかけは?

担当していた新規事業が軌道に乗りはじめました。するとありがちな経営判断なのですが、既存事業への吸収が決定されたんです。これまでのような自由な環境ではなくなることにモチベーションが下がってしまいました。同時に僕自身の営業成績が良かったこともあり、出世コースの慣例として西日本支社への異動話が上層部から聞こえてくるようになりました。

お酒が飲めない僕にとって知らない土地で一から人間関係を築くのはなかなかしんどいな、と思いましたし、どうしても東京から離れたくなかった。そこで本格的に転職を考えるようになりました。

──転職活動ではどのような軸で企業を探していましたか?

そのときは漠然と「障害者雇用の支援に関わる仕事がしたいな」と考えていました。大学でゼミも一緒でいちばん仲の良かった同級生が筋ジストロフィーという難病を抱えていたんです。彼は学部を首席で卒業するほど優秀でしたが、就職活動ではかなり苦労していました。その記憶が心のどこかにずっとひっかかっていて。当時は何もできなかったけど、ある程度の社会人経験を積んだいまなら何か価値提供ができるんじゃないだろうか、と。

そんな思いで障害福祉領域で事業展開をしているソーシャルベンチャーを中心にエントリーしていたところ、大学時代のサークルの後輩と会う機会がありまして。それが2019年当時、すでにリディラバで働いていた清水でした。「障害者支援の領域に興味があるなら、リディラバで一緒にやりましょうよ」と。

──それで面談に、という流れだったんですね。

その面談が変わっていて。清水の上司だった方と会うことになったんですが、最初は居酒屋で2時間ほど、と聞いていたんです。ところが気づけば4時間も話し込んでいました。僕なんてお酒飲めないのに、ですよ(笑)。しかもその間、仕事の話はひとつもしていないという。普段どんな遊びをしてるのかとか、好きな芸術や大学で専攻していた哲学の話、プラトンのイデア論などについて喋っていました。

そうしたら帰り際に「この場で内定を出すから、一緒に働こう」と言ってくれて。正直、なぜ内定が出たのか全く理解できません。なのでその疑問をそのままぶつけると後日改めて、お酒抜きでリディラバの話をしましょう、と。

──それはなかなか得がたい体験ですね……

それから日をあらためて喫茶店で1時間ほどリディラバの事業について説明を受けたのですが、それでもまだ何をやっている会社なのかわかりません。自分に何が期待されているのかもさっぱりわかりませんでした。

なのでこの場でも正直に全くわかりませんと伝えた上で、そもそもなぜ僕に内定を出してくれたのかあらためて尋ねると、こう言ってくれたんです。「人に興味関心があり、かつ人から自分がどう見られているかを客観的に考えられる人なら何をやらせても大丈夫。だから夏目さんを採用したいんだよ」と。この言葉を意気に感じ「わかりました、やります」と条件面などまったく聞かずにその場で内定を受諾してしまいました。

──うーむ、いい話ですね……

当時のリディラバは「社会の無関心の打破」という理念があるだけで、事業内容は固まっていないフェーズでした。僕が配属された法人事業部に至っては立ち上げわずか5ヶ月目。顧客も売るものも、何も決まっていません。そのときでした。「わかる」ではなくて「つくる」ことが求められていたんだ、と言葉の裏にあるメッセージがすっと理解できたのは。

コロナ禍でのチャレンジは“仲間づくり”の営業哲学から

──入社後は何からはじめられたんですか?

とにかく営業をやる、ということでした。立ち上がったばかりの企業研修事業の販路を開拓するのがミッションでしたね。企業研修事業とは社会課題の現場ネットワークと課題解決ノウハウを活かした企業向けの研修プログラムを提供するというものです。最初に与えられたのは「2ヶ月で200件のアポイントを取る」という指示と社内中から掻き集められた名刺の束。手当たり次第にメールを送り、結果的に2ヶ月で178件のアポを獲得しました。ただ、そこから成約に至った案件はほとんどなかったと記憶しています。なかなか厳しいスタートでしたね。

当時は上司の営業に同行し、ひたすら議事録を取るなどの下働きからスタート。そこで見た光景は僕にとっては衝撃的でした。たとえば大手人材会社の役員で「その道何十年の大家」というような方に対して、御社の手法はいまの時代には合わないかもしれません、と率直な意見を伝えることを恐れません。

上司だけでなく、代表の安部も大企業の役員に常に本質的な議論を投げかけていきます。横で聞いている僕はいつも肝を冷やしていましたが、不思議と相手は怒るどころか「本当にその通りなんだよ」と納得するんです。

──そんな大胆なコミュニケーションがよく成立していたものですね

上司も代表の安部も単に相手を否定しているわけではないんです。その手前で「社会の無関心の打破」や「個人の自己責任論で片付けられている問題は社会のシステム側のバグだ」といったリディラバの考え方や大義にまず、深く共感してもらっている。その上で、だとすればこのやり方では限界がありますよね、と本質的な問いを投げかけているんですね。

だからこそテーブルの向こうの偉い人たちも大胆な物言いを自分たちの課題として受け入れ、心を開いてくれるのだと思います。また従来の成功モデルが通用しなくなり、多くの企業が新たな価値創造を模索していた時期だったことも追い風になったと感じます。

──その後、夏目さんご自身が事業を牽引する中で印象に残っている出来事は?

間違いなく2020年のコロナ禍です。ようやく事業が軌道に乗りはじめ、何件か大型の受注が決まっていた矢先に緊急事態宣言が発出されました。僕らの研修事業の根幹は、社会課題の現場に足を運ぶ「越境学習」です。それが完全にできなくなってしまった。会社の別事業に至っては撤退を余儀なくされ、企業研修事業も「畳むのか、続けるのか」という厳しい判断を迫られることになります。

そんな中、代表の安部との週次ミーティングで僕は「絶対に続けます」と宣言し続けました。そして発注いただいていたお客様にプログラムのオンライン化を提案して回りました。ただオンライン化するだけの話ではありません。「みなさんの仕事もこれから否応なくオンライン化が進む。僕らもみなさんもいま、ここで変わらなければ未来はありません。この苦しい状況を新しい学びの場に変えるチャレンジを僕らと一緒にしませんか」と。

この呼びかけに賛同してくれたのがトヨタやNTT西日本、花王グループカスタマーマーケティングといった大手企業の人事の方々でした。このときに手を組んだ方々とは同志であり仲間として、担当を外れたあとでも連絡を取り合う関係が築けています。

──通常なら中止や延期になってもおかしくない中、なぜそのような関係を築けたのでしょうか?

僕らが提案したのは単なる代替案ではありませんでした。当時の提案資料には冒頭でかなり熱く、長いメッセージを綴りました。コロナによって社会課題のあり方も変わっていく。この変化を学びの機会に変えなければ研修という文化そのものが終わってしまう、という。


そして人事担当者が一堂に会する人事コミュニティをオンライン上につくり、プログラムの進行と並行して人事のみなさんが抱える課題解決にも取り組みました。毎週のように反省会を開き「明日はこう改善しよう」と、まさに一丸となってオンラインプログラムをつくり上げていったのです。

──オンラインが向いていた面もあったのでは?

そうなんです、結果的に思わぬメリットもあったんですよ。まず移動時間がなくなったことでインプットの量を飛躍的に増やすことが出来ました。また工場の立ち入り禁止区域など、オフラインでは見ることのできない現場の奥深くまでカメラで中継することが可能になりました。コロナ禍と正面から向き合ったことで僕らの研修はオンとオフの二刀流という、新たな強みを手に入れることができたのです。あのときの経験は代表の安部や上司から受け継いだ「踏み込む力」を、自分なりの「仲間づくりの力」へと昇華できた瞬間だったのかもしれません。

漫才より面白い仕事で「困難を笑える」社会づくりを目指す

──持ち前のバイタリティで困難を乗り越えた夏目さんが、仕事の上で最も大切にしていることはなんですか?

いいチームであること、です。個人ではなくチームとして成果を出すことを何よりも重視しています。商談であれ、社内会議であれ、その場にいる全員が同じ目的に向かっているか。週次のミーティングが終わった瞬間に、全員が迷いなく次のアクションに移れる状態をつくれているか。そこを常に意識しています。

期初には必ずチームメンバーに伝えているのですが、僕は評価者や監視者として商談や会議に同席するわけではありません。メンバーと一緒にプログラムを運営する際も、もちろんフィードバックはしますがそれは目的ではありません。僕を含め、その場にいる全員が参加者の成長と変容にコミットする「当事者」であること。このスタンスはチームの鉄則として共有していますね。

──かつて漫才より面白い仕事はないと思っていた、とのことですが、いまはいかがですか?

面白いですね。あの当時の言葉は僕にとって一種の呪縛でした。本気で打ち込んだ漫才を棄てることになって申し訳が立たないから、それを超える面白い仕事を見つけなければならない、と。いまのリディラバの仕事はその呪縛から解放してくれる可能性を秘めていると感じています。漫才に最も近い、と言えるかも知れません。

特に難しい交渉や折衝の場面は最高に面白いですね。ヒリヒリするような緊張感の中で商談相手と向き合い、最適解を探っていくプロセスは何物にも代えがたいやりがいがあります。

──その面白さの核となっているものはいったい何だと思いますか?

「表現ができる」ことだと思います。リディラバは「社会の無関心の打破」という理念に繋がりさえすれば、何をしてもいい会社。つまり自分で組織を、環境を、事業そのものをつくれるんです。コロナ禍でオンライン化を進めた際も、ただプログラムを移行するだけではなく「人事のコミュニティをつくり、彼らの課題をまるごと解決する」という僕自身の表現を込めました。仕事を通じて自己表現ができる。それが僕が感じるリディラバの面白さの源泉になります。

──どんな方と一緒に働きたいですか?

大前提として、人の機微がわかる人ですね。人の失敗を安易に笑わず、かといって相手が笑ってほしいと差し出してきた自虐にはきちんと乗っかって笑ってあげられるような。そういう繊細な感覚は社会課題の当事者と向き合う上で不可欠です。その上でピュアであり、タフであること。いまリディラバの社内を見渡しても、活躍している人はこれらの要素を満たしていますね。

そしてなにより社会課題を誰かのせいにしない人であること。行政も、企業も、現場のNPOも、それぞれの立場で必死に頑張っている。それでも解決できない複雑な問題だからこそ社会課題なんです。その構造を理解し、自分たちに何ができるかを考えられる人。それは営業場面でも同じです。お客様が抱える課題に対し、足りない部分をこちらが補ってあげるというスタンスではダメ。そうではなく、「一緒に頑張っている仲間としてお手伝いできることはありませんか?」という姿勢で向き合えるかどうか。リディラバのメンバーはみんなそういう姿勢を大切にしています。

──最後に、リディラバに興味を持っている方にひと言メッセージを。

リディラバは上からベネフィットを与えてくれる会社ではありません。しかし自分で面白い仕事や働きやすい環境、自分にとってのベネフィットをいくらでもつくり出せる場所です。代表の安部が掲げる大きな目標を達成した暁には、きっと誰もが「困難を笑える社会」が実現しているはず。そんな未来を一緒に表現してくれる仲間と出会えることを心から楽しみにしています。

【profile】

夏目翔太 企業研修チーム リーダー 

1991年、東京都生まれ。立教大学卒業後、通信メーカーの新規事業創出に4年間従事した後、2019年に株式会社Ridilover入社。企業向け人材育成事業の事業統括を務め、現在までに累計190社以上の大企業のリーダー育成に関わる。